手を伸ばせば、いや伸ばさなくても届くところまで引き寄せながら、あと1アクション及ばずタイトル奪取に至らなかったのは、不運なのか、そういう「星」の下に生まれなかったから? なのか――
井上 博雅
Hiromasa Inoue
不運? 悲運?
前回触れた「器」と同じように、説明がちょっとむずかしい「星」。そういう星の下(もと)に生まれる、なんて言い方をするやつだ。
そういう"星の下"に生まれなかったってことなのか…そんな意味で思い出すのが、坂本博之というハードパンチャー。特にそう感じさせられたのが、2000年3月、ヒルベルト・セラノの持つWBAライト級タイトルに挑戦した試合だった。
不運というのか悲運というのか、この展開に持ち込めても、モノにできないことってあるんだ…と。
自慢の強打を炸裂させ、開始50秒すぎと2分10秒頃に、ダウンも奪う。実らなかった過去2度の挑戦を吹き飛ばすような、これ以上ない優位な展開。
3ノックダウン制、初回KO奪取、見ていたほとんどの人がそんな劇的シーンをイメージする流れだったのに…
あと1度、ヒザをつかせるか手をキャンバスにつけさせるかだけでも、そんなイメージ通りになっていた。セラノの腰が落ち、ロープを背にしていなければ倒れていたと思えるシーンもあった。手を伸ばさなくたって届いていた、といっていいくらい「そこ」まで引き寄せていたのに…
なるようになった…のか!?
あと一撃。
しかしセラノがそれほど弱ってはいなかったことに加え、坂本自身にまぶたのカットや腫れというトラブルが発生。優位だったはずが、逆に焦ることになる状況に陥り、5ラウンド2分27秒、レフェリーのミッチ・ハルパーンが試合をストップ。
慌てなくても、また倒す時間は十分にある…という手応えもあってあれ以上強引に行かなかったのか。あるいは、あまりにもうまくいきすぎる展開に内心戸惑い、慌てたのか? なんて想像も当時はした。
運不運、ツキや相性、タイミング、ちょっとしためぐり合わせの良しあしで、もつれる勝負の綾。 3カ月後セラノは、ブランク明けで2階級制覇に挑んだ畑山隆則に完敗しタイトルを奪われる。畑山はリング上で坂本を"指名"、実現した一戦は拳史に残る大激闘となるも、世界タイトルという「星」が坂本の手に入ることはなかった。
なるようになったということか。坂本がセラノに勝っていたら、畑山戦が実現した可能性は低かったとも聞く。
いつだったか「(特別な何か、強運を引き寄せる力などを)持ってる」なんて言い方が流行った時期もあったが、畑山は持っていて、坂本は持っていなかった、と言い換えることも…できなくはないか。
2020.09.11
Photo : H. Inoue
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